アメリカ建国の歴史をボストンで知る!
今日、アメリカの「Freedom(自由)」「Independence(独立)」という考え方に魅力を感じ、留学を目指す方もおられるかと思います。実は、ボストンは歴史上、これらの理念が誕生する舞台となった街です。留学中、英語のスキルに加え、アメリカ人が本当に大切にする価値観を歴史を通じて学べることができたら素晴らしいと思います。
↑ボストンの歴史スポット、ノースエンドの風景↑
【目 次】
1.清教徒ピューリタンの入植から始まるボストンの歴史
ボストンは、1630年にイギリスより宗教の自由を求めて移り住んできた清教徒ピューリタンの手によって作られた歴史があります。現在は市民の憩いの場で街の中心に位置する公園ボストンコモン(Boston Common)では、当時、入植者たちは将来の理想を議論するために集会を開いたり、演説を通じメッセージを伝えていました。そして、教育を重視したピューリタン達は、米国最古の大学、ハーバード大学を1636年に創設しました。現在においても、ボストンが「教育の都」であるのは、400年近く前のピューリタン達の教育の理想に基づいているのかもしれません。
19世紀、馬車で生活するボストン市民
20世紀初頭のボストンコモン(地下鉄駅の風景)
現在のボストンコモン
2.イギリスの植民地だった頃の歴史
アメリカは、1775年から1783年の独立戦争 (American War of Independence)が終焉するまでイギリスの植民地だった歴史があります。その植民地はマサチューセッツ以外にも、ニューハンプシャー、ロードアイランド、コネチカット、ニューヨーク、ニュージャージーなど13のエリアに広がっていました。工業が盛んな北部と、農業が盛んな南部の違いはあっても、それらのエリアはそれぞれの発展を続けていきました。
しかし、独立への転機となったのが、フレンチ・インディアン戦争(1755~1763年)です。当時、北アメリカ大陸の領土を巡ってイギリス軍(アメリカ植民地人も含む)とフランス軍が争いました。その結果、両軍の兵士に加え、自由を求めた原住民のインディアン達にも大きな犠牲が出ました。最終的に、イギリス軍は勝利を収めたものの、同時に1億3000万ポンドもの多額な負債を抱えてしまうことになります。
イギリス本国は借金をカバーする為に、アメリカ植民地の人達に重い税金をかけ経済の立て直しを図ろうとします。その課税の対象は、お茶、砂糖、印刷物(出版物や証明書など)など多岐に渡りました。それらの政策に反発を強めたアメリカ植民地の人達は、イギリスからの独立をしたいと、より強く願うようになった歴史があります。
3.ボストン茶会事件から独立戦争へと進んだ歴史
イギリス本国だけが利益を得る政策に耐え切れなくなったアメリカ植民地の人達は、行動に出ます。1773年に、茶を積んだ東インド会社(イギリスの貿易会社)の船に、インディアンの仮装をしたアメリカ植民地人50名程が乗り込み、342箱をボストン港に投げ捨ててしまいました。これをボストン茶会事件 (Boston Tea Party)と言います。その損害額は100万ドルにも達したと言われています。
※この当時、アメリカでは、茶のボイコットを行った際に、お茶を飲まずにコーヒーを飲む習慣ができていった様です。その様な歴史的背景で、今日においてもアメリカではお茶よりコーヒーが人気だと言われます。
1773年のボストン茶会事件
そして、これらの事件が発端となり、1775~1783年の8年間におよぶイギリスとの独立戦争へと突入して勝利したアメリカは、アメリカ合衆国 (The United States of America)としてイギリスからの独立を果たします。ボストンは、アメリカ独立の際の歴史の表舞台だった場所だと言われます。
毎年行われる独立記念日(7月4日)の花火大会
(ボストン・チャールズ川)
4.ボストンの大学時代、歴史の教授から習った事
私がボストンの大学で歴史の授業を取っていた頃、教授が学生たちに言いました。
「アメリカの歴史において、Freedom (自由)という理想が完全に実現された事はないかもしれません。常に階級間、人種間、性別間、宗教間などで格差や対立が我々の社会に存在しているのも事実だからです。でも、同時にいつの時代のアメリカ人も自由の理想の追い求めるスピリットを持って行動する人達によって時代は変化します。・・・」
もう20年以上前の歴史の教授の講義中の言葉ですが、彼の言った言葉が鮮明に頭に残っています。アメリカ人にとっての自由は、チャレンジして勝ち取ってきたものがベースになっていることを知りました。英語の知識に加え、留学先の歴史や文化を理解することで、コミュニケーションの深さが増すのではと思います。
5.フリーダムトレイルを歩いてボストンの歴史を体験
実際に、このアメリカ独立の歴史をフリーダムトレイル(Freedom Trail)という4km近くにおよぶ道を歩き体感することができます。
1) ボストン・コモン(Boston Common)
スタート地点ボストンコモンの映像
ボストンコモンは、1634年に、清教徒ピューリタンたちの集会場として使用されていた長い歴史のある公園です。コモン(Common)とは、市民の共通の広場という意味だそうです。今日では、市民の憩いの場として活用されています。公園内には、リスが住んでいたりして癒されます。
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2) マサチューセッツ州議事堂
(State House)
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3) パークストリート教会
(Park St. Church)
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4) グラナリー墓地
(Granary Burying Ground)
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5) キングス・チャペルとキングス・チャペル墓地
(King’s Chapel & King’s Chapel Burying Ground)
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6) 旧市役所とベンジャミン・フランクリンの立像
(Old City Hall & Site at Benjamin Franklin)
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7) オールド・コーナー書店
(Old Corner Book Store)
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8)オールド・サウス集会場
(Old South Meeting Place)
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9) 旧州会議事堂
(Old State House)
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10) ボストン虐殺事件跡地
(Boston Massacre Site)
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11) ファニュエル・ホール
(Fanueil Hall)
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12) ポール・リビアの家
(Paul Revere’s House)
アメリカの独立の英雄として、名前があがってくるのがポール・リビア(1735 – 1818)です。彼は、ボストン茶会事件においても、インディアンの衣装に身を包み、イギリスの船に乗り込みます。そして、1775年には、深夜に馬を走らせイギリス軍の攻撃を通報するなどの活躍をしました。
そのポール・リビアの家は、現在、ボストンのイタリア街のノースエンドにあります。赤レンガが主流の今日のボストンの建築の中、植民地時代の木造の建築様式を見られる貴重な場所です。
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13) オールド・ノース教会
(Old North Church)
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14) コップス・ヒル墓地
(Copp’s Hill Burying Ground)
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15) USSコンスティテゥーション号
(United States Ship Constitution)
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16) バンカー・ヒル記念塔
(Banker Hill Monument)
フリーダムトレイルの最終地点
6.歴史の町からアメリカの先端技術の町へ変貌を遂げたボストン
今日のボストンの町は、京都の様な歴史的な観光地としての人気も高いですが、ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学などの世界的にもトップレベルの大学が集まる世界屈指の学術都市でもあります。
ボストンの人口は、69万人ほどですが、そのうち25万人が学生だと言われます。ボストンには、アメリカ全土だけでなく、世界中から何かを真剣に学びたいという学生や研究者たちが沢山集まります。町の歴史は古いボストンですが、常に若い学生達のエネルギーで満ち溢れています。
大学別のノーベル賞の受賞者だけ見てみても、ボストン周辺の大学の水準の高さが伺えると思います。
【世界1位】
ハーバード大学:151名(公式には47名)
【世界5位】
マサチューセッツ工科大学:83名(公式には78名)