代表ごあいさつ
英検4級レベルで渡米し、ボストンで学ぶことの楽しさを発見する。
マサチューセッツ州立大学の社会学部を学部代表で卒業。
700名以上のボストン留学をサポート中
1.はじめに
星の数ほどある、留学サイトの中から、当サポートのページにお越し頂き本当にありがとうございます。
私自身、学生時代にボストンへ5年間留学した経験があります。ボストンでの留学生活は、今までの私の考え方を180度変えて、自信のなかった私が今日においては、起業家として活躍できる原動力となりました!
これから、ボストンへの留学を検討されるあなたにも、全米のみならず世界中から面白い学生達が集結するボストンの魅力、そして留学を通じて自分の人生を切り開く面白さをお伝えできればと願っております。
ボストンのビーコンヒルにて
2.ボストン留学サポートを始めるにいたった経緯
私は、愛知県の岡崎市という町に1975年に生れました。父親はトヨタ系列の会社のサラリーマン、母親は専業主婦というごく一般的な家庭に生れました。高校卒業後、アメリカ留学をするまでは、一度も海外生活を経験したこともない子供時代を過ごしてきました。
私には、2歳年上の兄がいました。両親は、二人の息子達に「一生懸命、勉強していい大学に入りなさい」と常に言っていました。そして、二人とも国立の教育大学付属の小学校と中学校へ進学し、学習塾にも通っていました。
後に慶応義塾大学に入学することになる兄とは正反対に、私は中学と高校で「国語」の授業にどうしてもついていけずに、落ちこぼれになってしまいました。偏差値も40以下という状況で、親の期待に応えるのは絶望的でした。
昔を振り返ると、かつて私は日本の教育システムでは「落ちこぼれ」でした。高校時代には、落第点を取り、親が学校へ呼び出されることも頻繁でした。そんな中でも、私は、決められた勉強を「一流大学に入学するため」にすることへの意味を見出せずに、悶々とした日々を送っていました。
高校3年からは周囲が受験勉強をする中、私はガソリンスタンドと工事現場のアルバイトをスタートしました。
英検4級レベルしかなかった私ですが、留学資金の一部を自分で稼げば、両親も海外留学を許してくれると思ったからです。勉強面では、不安がある状況でしたが、何とか両親も私のアメリカ留学を認めてくれました。
3.十八歳で渡米した後の私
留学当初、お世話になった留学エージェントの方に、ミズーリ州のセントルイスという中西部の田舎の町が「日本人が少なく、勉強に打ち込めていい」と薦められ数ヶ月、そこで生活しました。しかし、ミズーリ州には、若い私にとって十分にチャレンジできると思える場所がありませんでした。
渡米前に日本でアルバイトして貯めたお金を使い、ミズーリ州の学校の休み期間を利用して、広大なアメリカ大陸を、片言の英語を使って長距離バスで色々な町を視察しました。シカゴ、ニューヨーク、ワシントンDC、そしてボストン。
シカゴやニューヨークの様な大都市は、町を歩く人達は、ビジネスマンがメインだったのに対し、ボストンは「学生、学生、学生」いたるところに学生です。信号を止まっても音楽大学の学生がギター片手に会話してたり、カフェに入っても学生達がディスカッションしています!!
調べてみると、ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学といった世界的な大学からローカルな大学まで100校近くの教育機関が周辺に集まる、アメリカ最大の教育の町だとの事でした。人口60万人の20万人近くが学生という町は、世界を探してもボストンしかなかったのです。
私は、ボストンの学生街の熱気を肌で感じたのと同時に、将来の可能性をこの町から受け取りました。即、ミズーリ州からボストンの語学学校へ転校する決意をしました。そして、ボストンの隣町のケンブリッジにあるNew England School of Englishという語学学校へ通い始めました。
正直、セントルイスもボストンも語学学校で習う内容というのは、変わりません。文法、リーディング、ライティング、会話などは、どこの町にある語学学校でも教えてくれます。
しかし、ボストンで出会える人達の面白さといったら、他の町では絶対にありません。私は、YMCAのフィットネスジムで、アメリカ人のマイクという精神科医のドクターと友達になれました。英語のレベルとか年齢の枠など全く関係なく、友達が沢山できていきました。
日本で生活している時は、偏差値とか出身校のレベルなど、小さなことを気にして、自分の可能性まで限定してきた私にマイクは言いました。
「Hey Shiko, I do not mind what your background is, but really care what you think. I guess you have lots unique ideas. I like them!!」
「シコウいいか、僕は君のバックグラウンドには関心ないけど、考え方には興味あるよ。君は沢山ユニークなアイディアを持ってて、そこが好きだよ!!」
私は、生まれてはじめて、自分の性格をほめられました。日本では、「劣等生」で英語も出来なかった私でも自信が持てると感じたのです。
自信というものは、怖いものです。マイクをはじめ、ボストンの仲間達は、自信を持ち失敗を恐れずに行動することで、人生を切り開けるのだということを気づかせてくれました。
渡米当初、英検4級レベル程の英語力しかなかった私は、マサチューセッツ州立大学という地元の州立大学へ進学して、社会学を専攻しました。アメリカ人でもチャレンジしないテーマを追求して、勉強嫌いだった私が、なんと卒業する時には学部代表にまで選出されました。
この結果は、決して自分の能力だけで成し遂げられたものではなく、常にボストンでチャレンジする人達に刺激や発想をもらい、自分の殻を破ることができたからだと思っています。
4.今後、ボストンの留学経験を元に何をするか?
私は、1999年、アメリカの大学を卒業して10年間、ボストン留学サポートを立ち上げるまで10年間、会社員として働いてきました。ビジネスでもプライベートでも多くの日本人と接してきました。
その中には、留学する前の私と比較すると、ずっと優秀な人達も多くいました。でも彼らが口にすることは
「努力はしているつもりだけど、私、自信がないんです・・・」
「失敗するのが怖くて、自分の意見が言えないんです・・・」
「自分なんて、回りと比較すると大したことないんです・・・」
こんな意見を、沢山耳にしました。この言葉は、まさに私がボストン留学を経験する前に思っていたことに他なりません。
そこで私は、直観しました。「彼らがボストンへ留学したら、きっと人生観変わるだろうな~」
多くの日本人は、
「実力がない」のでなく「行動する勇気が持てない」
のだと!
そんな方々に、私は、かつての自身のボストンの経験を伝えたいと思いました。
もちろん、英語の知識は、どこでも学ぶことはできます。しかし、全米のみならず世界中から、高い志を持って学びに来る人達のエネルギーを感じることができる町は、世界一の教育の町、ボストン以外には、私には思い浮かびません。
ボストン留学サポートのミッションは、
「チャレンジしたい日本の方」と「ボストンのチャレンジしている人達」を結び付け、ボストン留学後に自信をもって色々な分野で挑戦できる日本人を全国でいっぱいにすることです!
名古屋市立大学での招待講演
講演テーマ:海外への挑戦
ボストン留学サポート 代表
小松志行
ボストン留学中のお客様達と!
代表の小松が学生時代通った語学学校の現スタッフ達と!
代表・小松志行の経歴
1975年 | 愛知県岡崎市に生れる ※米国留学まで海外経験ゼロ |
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1994年 | 日本の教育スタイルに馴染めず成績は非常に悪かった。 ガソリンスタントと日雇いの解体のアルバイトを掛け持ち留学資金の一部を稼ぐ。 TOEFLのスコアは、320点(英検4級レベル)で周囲から留学を反対されるが、それらの意見に反して渡米。 渡米直前のTOEFLスコアは英検4級レベル |
1995年 | 語学学校で英語力を身に着け、ボストンエリアで一番授業料の安いQuincy Collegeへ入学 |
1997年 | Quincy Collegeを卒業し、University of Massachusetts Boston (マサチューセッツ州立大学ボストン校)へ編入。社会学を専攻 |
1998年 | 全米の優秀学生のGolden Key Honor Societyのメンバーに選出 |
1999年 | University of Massachusetts Boston (マサチューセッツ州立大学ボストン校)の社会学部を学部代表として卒業
大学の卒業式 |
1999~ 2008年 |
日系メーカーの海外営業職等を経験。アメリカやヨーロッパ市場の医療器部材の開拓を経験。グローバル人材の必要性を感じ、今まで勤めていた会社を退職。
ドイツの医療関係の展示会にて |
2009年~ | ボストン留学サポートをスタート
自身のボストン体験をマンガ化 当サポートのお客様達と! |