こんにちは。今日は、アメリカ留学の初期の経験談です!
私がはじめに留学した場所は、アメリカ中西部ミズーリ州のセントルイスという街でした。世界的なビールで有名なバドワイザーの本社がある中規模の都市でした。
セントルイスはのどかな街ではあったのですが、3ヶ月程過ごす中でイメージした留学生活とはかけ離れていました。若かった私は、刺激的に色々な世界の友人達と生活するのが夢でした。
英語も、片言しか話せなかったのですが、何かの発見を求め夏休みを利用して日本にいる時にバイトで貯めたお金を使い高速夜行バスを乗り継ぎ遠く離れたニューヨークまでバックパック旅行に出ました。
高速バスの車窓から見るアメリカの果てしなく続く小麦畑や大草原は、愛知県でしか生活した事のなかった私にとって、スケールが大きく感動の連続でした。
バスの中で、一夜を過ごし、早朝にニューヨークの摩天楼群が遠くニュージャージーのハイウェーから見えた時、どこからとなくアメリカの国歌を歌う声が聞こえてきました。
一人そしてまた一人と国歌を歌い始めました!
【英文】
Oh, say can you see, by the dawn’s early light
What so proudly we hailed at the twilight’s last gleaming?
【和訳】
おお、見えるだろうか、夜明けの薄明かりの中我々は誇り高く声高に叫ぶ
危難の中、城壁の上に雄々しくひるがえる太き縞に輝く星々を我々は目にした
白人、黒人、ヒスパニック、アジア人と色々な人種がいる中で、皆が国歌を歌う事で、知らない者同士で心が通じ合う経験をしました。隣に座っていた、ヒスパニック系のおじさんに色々と話しかけられたのですが、単語は解らなかったのですが、喜びを伝えている事は解りました。
英語の知識意外にも“笑顔”というコミュニケーションのツールがあるのだと、この時に知りました。
あなたも、アメリカの大学留学を実現した際には、日本の英語の授業では習わないコミュニケーション方法をたくさん経験する事でしょうね!
次回のニューヨーク旅行の体験談をお楽しみに♪
【第2章】アメリカの大学の仕組み
1)日米の大学システムの違いから認識する
2)卒業する大学&学部は、出国前に決める必要はない