初のアメリカの大学の課題はなんと0点
高校卒業まで、日本で教育を受けてきた私にとって勉強というものは、常に、学校の先生が作った模範解答が存在して、それと自分の答えが近い程、評価されるという物だと思ってきました。
一方、アメリカの大学では、もちろん、入学するためにTOEFLスコアが要求されたり、各クラスでも筆記試験が存在しました。しかし、そのスコアが高ければ、授業全体で高い評価を得られるかというと答えはノーでした。
アメリカの大学では、殆ど全てのクラスにおいて、常に試験で得た知識を使って、学生がどのような事を論文やプレゼンで表現できるかがより重要視されました。
多民族国家のアメリカでは、テーマが同じでも、人種、国籍、性別によって意見が異なる事は日常茶飯事です。
大学の授業においても、多くの場合、教授の作った模範解答というものが存在せず、しっかりとした理論に基づいた答えなら複数の答えがあっても全て認められていた気がします。
例えば、アメリカ政治入門(Intro to American Government)の授業を私が受けた時のことです。教授が学生達に「あなたは、アメリカの移民受入れに賛成ですか?反対ですか?」という質問を出しました。
その教授は、イスラム系の移民でした。アメリカ人の学生達は、教授を気遣い「移民には賛成です。」という意見が多いかと思えば「移民には反対です。」という意見が平気ででました。
しかし、その教授が重要視したポイントは「私は反対です。なぜならば●●という理由があるからです。」の●●の部分でした。●●の部分がしっかりとした調査や分析に基づいていたら、自分の意見と反対でも評価されました。
私の経験上、日本人的に、相手を気遣い、はっきり意見を言わないという姿勢がむしろ相手に誤解を生み、信頼されないという事もありました。
あなたも、きっとアメリカの大学で授業を受ける中で、日本の教育との違いを体感される事でしょう。ただ、私がここで申し上げられる事は、どちらの教育が正しいとか誤っていると言うものではなく、それぞれの特徴があるという事です。
次回のメルマガでは、『英語も苦手』でかつ『留学まで作文をまともに書いた経験のない』私がどのようにして大学の勉強に適応していったかをお話しします!
お楽しみに♪
第8章:就職活動、そして社会人へ
1)留学経験を生かし自立する事
2)「変えられる事」と「変えられない事」を客観分析